災害時の官民連携を再考する
元陸前高田市長が考える、
共助の担い手である企業が果たすべき役割とは

東日本大震災から14年が経った2025年現在、地方自治体や企業における防災対策・事業継続計画(BCP)は、過去の教訓が生かされた実効性あるものになっているでしょうか。今後、発生が懸念されている巨大地震に加え、激甚化・頻発化する豪雨や台風などによる浸水被害等のあらゆる自然災害に備えるためには、平時から公助と共助の間で継続的なコミュニケーションを図りながら、それぞれが役割分担を果たすための準備を整えることで、いざという時に有効な官民連携が実現します。
今回のインタビューでは、市街地の大部分が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で、当時市長として災害対応の最前線で陣頭指揮を執った戸羽太氏に、実体験に基づく貴重な知見から企業と行政の連携のあり方やBCP策定の考え方についてお話を伺いました。
目次
想定外を想定した備えの重要性
企業のBCP策定にも当てはまる、東日本大震災の教訓

丸山:2011年3月の東日本大震災では、陸前高田市長として最前線で陣頭指揮を執られました。当時の地方自治体としての対応から、どのような経験則につながりましたか。
戸羽 様:
東日本大震災が発生する前、陸前高田市では向こう30年以内に90%以上の確率で発生すると言われていた「想定宮城県沖地震」のシミュレーションに基づき、災害対策を準備していました。そのシミュレーションでは、市役所前の浸水はわずか50cmにとどまるとされていたため、市民も含め、我々は市役所周辺にある市民体育館や市民会館を避難場所に指定していました。
しかし、東日本大震災で実際に襲来した津波は、最大到達高で15メートル以上もの高さに達し、市役所は中枢機能を失いました。さらに避難場所も災害対策本部も、その機能を完全に失ってしまったのです。
この経験から学んだのは、自然災害における予測とシミュレーションの限界です。もちろん国や専門家による科学的なシミュレーションは災害対策の重要な指針ですが、それだけを絶対視することによって、思考が硬直化してしまう危険性も認識しなければなりません。 最近のニュースでも「南海トラフ地震」における津波のシミュレーションが取り上げられていましたが「予測よりも大きな津波が来る可能性はないのか」「予測されていない場所への津波の可能性はないのか」といった疑問を常に持ち続けることが、真の備えにつながるのではないでしょうか。
丸山:想定を超える事態が起こり得るという前提で準備する、つまり「想定外を想定する」という考え方は企業においても当てはまるように感じます。
戸羽 様:
企業のBCP策定においても、同様の視点が重要です。マニュアルだけに依存した組織運営では、想定外の事態には十分に対応できません。特に規模の大きな企業の場合、中堅以下の従業員は、上司の指示なしに独断で行動を起こしにくい傾向も珍しくないと思います。
しかし、災害時には上司と連絡が取れなくなる状況も十分に考えられます。そのため、事前の準備段階で想定外の事態への対応方針を明確にし、現場レベルでの判断権限を整備しておくことが不可欠です。
震災直後の陸前高田市でも、現場は柔軟な対応を取らざるを得ませんでした。そこで職員に対して、上席への確認を求めず、各自の判断で正しいと思う行動を取るよう指示しました。 その際に大事だったのが、判断ミスの責任は市長である私が負うと明言したことです。職員が安心して行動できる環境を整えたことが、混乱した状況において迅速な対応を可能にしたと思います。
災害時に求められるのは、企業の即応力
共助の担い手としての役割と、平時からの官民連携

丸山:自助・共助・公助の枠組みにおいて、企業は「共助」の重要な担い手として位置づけられています。特に災害発生から3日間程度は、応急対策活動期として救助・救出活動が最優先となることから、公助が本格的に支援を開始するまでの空白期間となりやすく、企業の協力が頼みの綱です。東日本大震災の直後、陸前高田市で企業はどのような役割を果たしたのでしょうか。
戸羽 様:
東日本大震災直後の陸前高田市は、ほとんどの道路が瓦礫で寸断され、物資の搬入も人の移動も非常に困難な状態になりました。こうした状況に陥った場合、通常であれば国道は国土交通省が、県道は県の指導の下で復旧作業が進められますが、緊急時にそのような縦割りの対応では迅速かつ十分に対処できません。
こうしたインフラの危機的状況下で力を発揮していただいたのが、陸前高田市建設業協会でした。津波の被害を免れた高台の建設会社さんが中心となり、国道・県道の区別なく主要道路の瓦礫撤去を自主的に開始してくださったのです。行政からの正式な要請を待つことなく、地域のために必要な行動を起こした取り組みは、後年に国土交通省からも評価され、緊急時における官民連携の好事例として認められています。
丸山:民間企業の強みである機動力が、復興の現場を支えたのですね。
戸羽 様:
法令・規則に基づき、公平性と説明責任を確保しながら、複数の関係者で合意形成を進めていかねばならないため、行政の意思決定はどうしても時間がかかります。その一方で、企業は現場の判断で迅速に行動でき、特に地方においては、地元企業と行政の連携が、復旧・復興の鍵を握っていると考えています。
実際、多くの地方自治体が企業との間で防災協定を締結しています。防災協定そのものは意義あることであり、望ましい取り組みです。しかし、防災協定を結んだだけで安心してしまい、実際の災害時に機能しないケースも少なくないのではないでしょうか。
協定の実効性を高めるためには、平時からの継続的なコミュニケーションが不可欠だと考えています。地方自治体の防災担当者は、人事異動により地域については理解しているものの防災の専門知識を持たない職員が配置されることも珍しくありません。その一方で、民間企業は幅広い情報収集能力と最新技術への知見を持っています。この両者の情報を定期的にすり合わせることで、地域特性に応じた効果的な防災対策を構築できるはずです。
たとえば、防災協定を締結した企業にも、地方自治体が開催する年1〜2回の防災会議に参加いただき、行政職員からの質問や要望を直接ヒアリングする仕組みは有効だと思います。協定の内容をより具体的、かつ実践的なものにブラッシュアップでき、企業側も地方自治体のニーズを正確に把握し、より適切な支援を提供できるようになるはずです。
CSR視点の短期的な支援だけでなく、
企業の本業にもつながる持続可能な取り組みこそ重要
丸山:災害直後は多くの企業がCSR活動として人的支援や物資提供、ボランティア活動を行います。その一方、時間の経過とともに支援は減少していくように感じています。被災地にとって、どのような長期的な支援が求められるのでしょうか。
戸羽 様:
CSR活動としての企業のご支援は、とてもありがたいことです。ただ、やはり長く続いていく持続可能な支援には、企業の本業に関わる取り組みであることが重要だと思います。
実際に陸前高田市の復興過程では、地元の特産品をプロデュースする取り組みや、障害のある方向けの情報伝達システムの開発など、さまざまなアイデアを提案いただきました。しかし、多くの取り組みは一時的なご支援に留まってしまい、本格的な事業として取り組んでいただいたケースは多くありませんでした。特に地方自治体の復興には、雇用の創出と経済活動の活性化は必要不可欠であり、企業にとっても利益を生み出せる仕組みでなければ継続することはできません。
企業が復興支援を検討する際は、CSRの視点を超えて本業の延長線上でぜひ模索いただきたいと思います。復興支援であると同時に新たなビジネスチャンスと捉えていただいてリソースを投じていただければ、それが地域にとって持続的な復興の基盤となるはずです。
事業継続だけでなく、従業員と家族の安全が最優先
実践知に即した、BCP策定のポイントとは

丸山:企業の担当者が、災害時のBCPを策定するにあたって、どのような考え方が重要になるのでしょうか。
戸羽 様:
BCPの根本的な目的を見失わないことが重要だと思います。BCPにおいて「事業継続」が最重要目標ではありますが、そもそもの前提として従業員とその家族の安全確保が最優先されなければなりません。従業員とその家族の安全が確保されていない状況で、企業が従業員に対して事業継続を強要すれば、組織の結束力が弱まってしまい、長期的な事業継続にも影響を及ぼすでしょう。
また、BCPは策定して終わりではなく、継続的な見直しと実践的な訓練が必要です。マニュアル通りの避難訓練をするだけでなく、実際の災害時に近い状況を想定した実践的な訓練を実施し、BCPで定めた計画の実効性を検証し続けることが求められます。
丸山:具体的には、どのようなアプローチでBCPを策定していくべきでしょうか。
戸羽 様:
効果的なBCPを作成するためには、さまざまな状況に対処できる細かな対応策を多数準備し、それらを組み合わせて全体の計画を構築するアプローチが有効です。たとえば、通信手段が断絶した場合の代替連絡方法、交通インフラが麻痺した場合の物資調達方法など、個別具体的な課題に対する解決策を事前に検討しておく必要があります。
災害時の対応を見直し、実践的な訓練を積んだ上で、さらに想定外の事態が起きてしまった場合、どのような権限で意思決定するのか、そこまでを考慮してBCPを策定していくべきです。
“いつか”のための災害対策
企業、行政、住民が一体で取り組む、災害に強い社会づくり

丸山:東日本大震災後の災害対策には、どのような課題が残っているのでしょうか?
戸羽 様:
東日本大震災から13年が経過した2024年1月には「令和6年能登半島地震」が発生しました。多くの被災者が避難所での生活を余儀なくされましたが、そこでの避難所の生活環境や支援体制は、東日本大震災当時とさほど変わらない状況で、災害対応の進歩の遅さを感じてしまいました。
実効性のある災害対応・体制を構築するためには、過去の経験を体系的に整理し、制度的な改善につなげる取り組みが必要だと思います。防災庁の創設が検討されてはいますが、単に組織を新設するのではなく、実際の災害対応能力の向上につながるような制度設計が求められるのではないでしょうか。
そして、企業と行政の連携においても、従来の枠組みを超えた新たなアプローチが必要になっています。協定の締結だけに留めず、日常から継続的な関係を構築し、実践的な共同訓練の実施し、そして災害時の迅速な連携と意思決定を可能にする環境整備が重要です。
災害はいつか必ず起きます。その“いつか”のために、企業、行政、そして住民が一体となって取り組み、災害に強い社会を実現していくことが求められています。
丸山:ありがとうございました。
〈取材にご協力いただいた方〉
元陸前高田市長
戸羽太(とば・ふとし)様
1995年に陸前高田市議会議員に初当選し、以後3期(12年間)務める。2007年には市助役(副市長)に就任し、2011年2月13日に市長に初当選。市長就任1ヶ月後に東日本大震災(2011年3月11日)が発生し、震災後の復興を推進。市長として3期(12年間)務め、2023年2月12日に任期満了で退任。
※インタビュアー:丸山 茜(防災士・災害対策士) 当サイトの運営元であるプラス株式会社ジョインテックスカンパニーにて防災・BCP商材、サービスの企画/推進、「危機対策のキホン」カタログ、オウンドメディアサイト「もっとキキタイマガジン」の企画/監修