地震と豪雨。能登半島の2つの災害から学ぶ、
企業のBCP対策に活かせる教訓とは

石川県輪島市で唯一の総合病院として地域医療を支える市立輪島病院。2024年1月には能登半島地震、同年9月には能登半島豪雨で病院自体も被災しながら、災害負傷者の救急搬送の受け入れやトリアージ、DMATの受け入れ、近隣の病院への搬送など、被災した地域住民の命を守る災害拠点病院としての役割を果たしました。

今回の取材では、1年間で2度にわたる災害を経験したことで得られた教訓やBCP対策の重要性、BCP策定時に意識すべきことについて、市立輪島病院で事務部長を務める河﨑 国幸 様と対談させていただきました。

輪島市唯一の総合病院
災害拠点病院が果たすべき役割と能登半島地震

河﨑 様:
市立輪島病院は、石川県輪島市内にある唯一入院ができる総合病院で、病床数は介護医療院含め、175床(2024年10月時点)を有しています。患者さんの95%は地元である輪島市民の方々で、患者さんの80%以上が高齢者であることが特徴です。入院患者さんの平均年齢も85歳を超えていますから、少子高齢化が進んだ地方病院の典型例だと言えるでしょう。

河﨑 様:
災害拠点病院は、地震や津波、台風などの災害発生時に地域の災害医療を担う医療機関を支援する病院のことです。市立輪島病院もこの災害拠点病院に指定されているのですが、同じ能登半島地震でも2007年の役割と、2024年の役割はまったく別でした。

2007年の能登半島地震では、病院としての機能が維持できている状態だったため、想定通りの災害拠点病院の役割として搬送されてきた患者さんをトリアージし、緊急度や重症度に応じて院内で処置していました。

しかし2024年元日に発生した能登半島地震はあまりに地震の被害規模が大きく、2007年の地震とは違う形で災害拠点病院の役割を担うことになりました。地震の被害として一番深刻だったのが、上下水道が断水したことと医療機器がほぼ損壊したことによる病院機能の低下です。激しい揺れで病院入り口の壁が壊れていたため、トリアージは駐車場の一角で行われました。負傷者は一旦入院させたもののそれ以上の治療はできないため、最寄りの災害拠点病院への移送やDMAT(災害派遣医療チーム)の受け入れに集中することを決定しています。

2018年にBCPを策定
モデルになったのは、2007年の能登半島地震

河﨑 様:
現在の輪島病院は1996年に建設され、2024年で28年目を迎えた古い医療施設です。収益の兼ね合いから大規模な修繕は30年ごとを予定しており、2年後に大規模修繕を控えたタイミングで壊滅的な打撃を受けてしまいました。

ソフト面では2018年にBCPを策定し、燃料や食料の備蓄、災害時のライフラインの確保などを事前に取り決めていました。ただ、最悪の状況として2007年の能登半島地震を想定していており、病院機能の喪失までは想定の範囲外でした。

また、その他にも市が毎年1回実施している防災総合訓練に参加し、災害負傷者の救急搬送の受け入れ、院内トリアージの訓練を重ねてきました。地域施設との連携も、毎年の防災総合訓練で確認しています。

河﨑 様:
本当にさまざまな被害があったなかで特に深刻だったのは、建物の周りの敷地が50センチも沈み込んだことで、上下水道といった外とつながっている配管がすべて破損したことです。これによって断水してしまい、医療機器の損壊とあわせて医療施設としての機能を喪失しました。

県内の業者さんがなかなか手配できなかったこともあり、上水道がようやく復活したのは地震から1週間が経った1月9日のことです。下水道の修理にはもっと時間がかかりまして、仮設トイレや仮設の浄化槽を設置することでなんとか耐え凌ぎ、応急整備が終わったのは3月中旬でした。

また、下水道で助けられたのはトイレトレーラーです。1月4日の夜9時半頃に到着し、翌日から使えるようになりました。輪島市内も断水していたため、朝はトイレに待ち列ができていたことが印象に残っています。

医療機器の損壊で特にダメージが大きかったのは、揺れや水没で検査機器が壊れてしまったことです。検査機器が壊れてしまうと、症状の程度を診断することができず、適切な処置を施すことが難しくなります。また、水を使う透析もできなくなってしまい、普段のような医療行為ができなくなってしまいました。

発災日時や建物の損壊などの想定外が重なり、
BCP通りに進まなかった

河﨑 様:
正直なところ、BCPであらかじめ想定していた通りのアクションができたのはごく一部でした。その理由のひとつが、元日という最悪のタイミングです。公立病院には医師を養成する役割があり、全国の地域枠を卒業した若手の医師が市立輪島病院にも勤務していました。そのため、医師の多くが市外へ帰省等しており、発災後にすぐ病院へ駆けつけられる医師が不足していたのです。

また、輪島市は過疎が進んで普段の人口が少ない地域のため、正月は帰省した家族で人口が急増していたことも悪影響でした。通常は2万3,000人ほどの人口が、能登半島地震の当時は5〜6万人と普段の倍以上に人口が増えていたのです。その結果、救急搬送されてくる災害負傷者に対して治療にあたれる医療従事者が不足しました。

BCPの有効性についてですが、災害時のトリアージは病院のエントランスのスペースを行うことになっていましたが、壁の破損が確認されたため、駐車場の一角で行われることになりました。初日は100名前後の災害負傷者が市立輪島病院に搬送されましたが、トリアージの流れや医師の役割分担については、当初よりBCPで策定していた通りの動きができました。

備蓄等については、ちょうど3年ほど前に予算をかけて自家発電装置の更新を行っていたほか、それに必要となる電気を起こすための3日分の灯油、患者さんの食料や水を常時確保していました。水については、屋上タンクを常に満タンの状態としていました。1月の能登半島という寒い状況でもすぐに電源を確保できたのは、BCPで策定していたおかげです。

豪雨ではBCP通りに対応
2つの災害から得られたBCP対策のポイント

河﨑 様:
能登半島地震から1年も経たずの災害でしたが、上下水道を含め病院の建物自体に被害はなかったため、事前のBCP通りの対応ができました。院内でトリアージができ、DMATの協力も不要で合計35名の災害負傷者を市立輪島病院内で完結して治療ができています。

能登半島地震の教訓が生かされたポイントとして挙げられるのは、上水の確保です。豪雨発生直後は、上水が断水してしまう恐れがありました。そこで断水の前に透析が必要な患者さんを他の透析治療が可能な病院へ搬送する段取りを、豪雨初日の夕方までには手配していました。具体的には、腎臓担当のドクターから石川県透析連絡協議会へ搬送が必要になる可能性を伝え、事前に手続きまで完了できていました。その後、上水が断水する事態は回避され、予定通り透析の治療を患者さんに施すことができています。

その他にも、在宅治療をしている患者さんへ酸素を届ける段取りを豪雨発生直後から手配したこともBCP通りでした。近隣住民で酸素に余裕がある方は、足りない患者さんへ共有していただくようお願いし、孤立地域にお住いの患者さんにはヘリコプターで市立輪島病院まできていただき、酸素を供給しました。これらのことから能登半島豪雨ではBCP上の対応がうまく機能していたと考えています。

河﨑 様:
まず1つ伝えたいのが、訓練の重要性です。BCPは策定するだけでなく、実際にシミュレーションや訓練をすることで、不測の事態やイレギュラーへの対応を再度検討し、BCPにフィードバックすることが大事だと考えています。もしシミュレーションや訓練をしなければ、不測の事態やイレギュラーを想像することも難しいでしょう。

もう1つは、官公庁や会社の建物、設備自体が損壊などで使えなくなることも想定してBCPを策定すべきです。私たちは建物の機能が失われていないことを前提にBCPを策定していたことで、実際に能登半島地震のときは不測の事態に対処し続けることを強いられました。加えて、建物が損壊したあとはどのように復旧していくのか、たとえば仮設のプレハブ小屋を建てるのか、別の拠点へ機能を移すのかといった中期的な目線で再建プランを用意しておくとよいかもしれません。

建物や設備のハードと医師や職員のソフトが
一心同体になることが重要

河﨑 様:
能登半島地震と能登半島豪雨を経験する以前、医療施設にとってのBCPは災害拠点病院としていかに円滑なトリアージの体制を確保するかが重要だと考えていました。しかし病院の建物や設備というハードと、医師の医療行為というソフトが一心同体になって初めて医療施設の災害時対応は完成するのだと気付かされました。この気付きを受け、市立輪島病院では職員全員が患者さんだけに注意を払うのではなく、常日頃から医療機器の建て付けや設備のメンテナンスも意識するようになりました。

もう1つ今後のBCP対策では「目に見えないけど大事もの」、つまり地域とのつながりや災害時に頼れる人・組織をリスト化しておくことも重要だと考えています。実際、能登半島地震と能登半島豪雨の際、トイレトレーラーがすぐに現地へ応援に来てくれたのは、以前からのつながりによるご厚意からでした。

だからこそ、今回の能登半島地震と能登半島豪雨でご協力いただいた方はしっかりと記録に残し、もし別の場所で災害が起きた際に私たちの経験を活かした支援をさせていただきたいですね。

※インタビュアー:丸山 茜(防災士)

当サイトの運営元であるプラス株式会社ジョインテックスカンパニーにて防災・BCP商材、サービスの企画/推進、「危機対策のキホン」カタログ、オウンドメディアサイト「もっとキキタイマガジン」の企画/監修